母の玉子焼きについて
玉子焼きが好きである。
居酒屋で食べるような綺麗な黄色の「だし巻き」ではなく、無骨でゴツゴツした焦げ目のついている玉子焼きだ。
関東風の甘いものはもってのほかで、関西風の塩味や醤油風味でなければならない。小さい居酒屋で、親父が実際に焼き上げた焦げ目のついた玉子焼きが出てくると無性に嬉しくなる。
小学校の頃、遠足の時に母が作ってくれる弁当には、大体、玉子焼きが入っていた。おかずスペースの三分の一を占めるくらいに存在感をアピールしていた。
一切れ口に入れると、ほのかな塩味とふんわりした食感で幸せになる。すぐにご飯を掻き込んで口の中で噛むとなんとも言えない味のハーモニーが醸し出される。
その玉子焼きは、モリモリ食べて力強く生きよという母の願いが詰まっていたように思う。
今では八十を越え、独り住まいをしている母のもとへ時折訪ねる。そんな時、母は「お腹空いてないか」と言ってあの玉子焼きをまだ焼いてくれるのだ。
相変わらず立派で焦げ目のついた、堂々とした玉子焼きである。
私は、母と向き合いながら、それをパクパクと食べる。
あと、何度こういう時間が持てるのだろうかと、頭によぎりながら、白いご飯と一緒に口に放り込んでよく噛む。
「まだまだ、あんたはバリバリ働いて頑張らなあかんで」と母の玉子焼きに励まされるのである。