坂本洋之介のブログ

本を読んで日々思ったことを綴っていきます

立春の卵と思い込み

卵が立つ、ということを恥ずかしながら最近まで知らなかった。

コロンブスの卵の逸話ではなく、時間をかけると卵は先端を潰さずとも立つというのである。

この話を最近知ったのは、深代惇郎天声人語にある「立春の卵」というコラムを読んだからである。

深代氏のコラムが書かれたのが、昭和49年3月である。その中で、中谷宇吉郎という雪の結晶の研究者による「立春の卵」という随筆が引用されている。その随筆は、青空文庫に掲載されているから誰でも確認ができる。初出は、昭和22年4月1日になっている。

私が驚いたのは、卵が立春でなくとも、いつでも、生卵でもゆで卵でも立つという結論は、中谷氏が昭和22年に明らかにし、深代氏が昭和49年に再び取り上げているのに、それから時代が相当下っても私に届いていないという事実である。

私は、自分一人の不明、無知であったかと思い、恐るおそる人に尋ねてみた。

「テレビで見たよ」という人もいたが、結講多くの人が、「コロンブスのことやろ、そんなん知ってるで」と私と同じように卵が立つことは不知であった。少しほっとした。感覚的には十人に九人までは、私と同様にコロンブスの逸話レベルに留まっていた。

中谷氏は随筆の中で、卵が立たないという思い込みのため、人類の中に何百年と卵を立たせる努力をする者がいなかったこと、思い込みの歴史、人間の盲点が厳然とあると述べている。

私が強烈に感じたことは、「盲点」はそのままであり続けるということである。

卵は底を潰さずとも立つという正しい情報は、広く伝播しなかったか、一時期伝播したのだが忘れ去られた。

正しいことは広く伝わると限らず、伝わっても忘れられ、盲点は再び人の目を隠すようになる。このような事象は歴史の中にいくらでもあるのだろう。

そんなことを考えさせられた。