坂本洋之介のブログ

本を読んで日々思ったことを綴っていきます

漱石先生の書簡について

私の漱石に対する勝手なイメージが変わったのは、「漱石先生の手紙が教えてくれたこと」という岩波ジュニア新書に引用されている漱石の手紙を読んでからである。

それまで私は、漱石の人柄についての知識がなく、なんとなく気難し屋で、取り扱いの難しい人との思い込みがあった。

漱石の小説はいつくか読んだが、その人となりは詳細に知らなかったのである。

しかし、先の本に紹介された手紙文に現れた漱石の人柄は、誠に親切な一面があるのだ。

例えば、最後の小説「明暗」について読者から批評の手紙が届くと、それに対して長々と真摯な回答をしている。

当時、漱石はとても忙しかったことは間違い無かろうと思うが、面識のない人に対して貴重な時間を割いて、手紙を書くことはなかなかできることでは無い。

ジュニア新書を読んで以来、漱石全集のうち書簡を集めた巻が欲しいと思っていたところ、先日ブックオフで24巻「書簡下」を見つけた。値段が定価に比べ非常に安かった。古本屋は、たまにこういう掘り出し物に当たるから楽しい。私は、早速全集24巻を購入した。

特に読みたかったのが、漱石の磯田多佳に対する手紙である。

漱石は最晩年に京都に遊びに行き、老いらくの恋愛感情をお茶屋の女将磯田多佳に対して抱いたのではと言われている。そのことが現れた手紙が全集に収められているのである。

短く引用する。

「是は黒人たる大友の女将の御多佳さんに云ふのではありません普通の素人としての御多佳さんに素人の友人なる私が云ふ事です」

多佳と出かける約束をしていたことをはぐらかされたことを、漱石は責めて、上記くだりを多佳へ書いている。

玄人に違いない多佳に、素人世界の決まりを説くのは野暮に違いないが、漱石はそうせざるを得ない感情を多佳に持っていたのだろう。

濹東綺譚の永井荷風のように全てを知り尽くした上での恋愛ではなく、「三四郎」の無骨と未熟に近いと思った。

 

「時」を乗り越えられる唯一の手段は「言葉」であると、井上ひさしが私家版文書読本で述べていた。

その時は、頭で理解してなるほどと思ったのだが、本当には分かっていなかった。しかし、漱石の手紙を読んだ時、確かに私の眼前に漱石が歪な感情を持って確かに現れた。これが井上さんの言わんとしていたことなのだ。

淡い恋を抱く一人の人間に会えた不思議な体験だった。