上を向いて歩こう
打ち合わせが終わってお茶を飲んでいる時、その会計士さんは「時折は空を見上げていますか」と、私に問いかけてくれた。
私の打ち合わせ態度をみて、余裕を持っていない人だと思ったのだろう。
確かに、ここ暫くは業務に追われて余裕が無かったし、仕事の移動中も考えごとをして下ばかりを見ていた。
「このビルに、展望スペースがありますよ。ご一緒しませんか」
初対面に関わらず、その会計士さんは時間を取って私を誘ってくれた。
高層ビルの中程にある展望所からは、街の風景が広がり、そして広々と空が眼前に開けていた。空には梅雨の雲がまだらにかかっていたが、遠くの山並みの背後で雲が黄金色に染まっている。
ここ最近の私は、確かに下ばかりを見て仕事をし過ぎていたようだ。
視点を少し上にずらせば、こんなに素晴らしい拡がりが存在しているのだ。
私の頭の中の殺伐は、空に溶けて和らいでいった。
その日の夜の仕事帰り。
地下鉄の出口を出てからの家までの帰り、私は、家の近くの公園のベンチに座って初夏の夜空を見上げていた。
夜空の所々の漆黒に目を凝らしていると、ただの黒く塗りつぶされた空間にポツリ、ポツッと星たちが瞬き始める。
夜空を見上げるのは何年振りだろう。
星が私の頭上に存在することを忘れていた。敢えて、気にしてこなかった。
目が慣れた夜空に、今まで見上げなかった星々が確かな存在を示している。その星々は、私の認識と関わりなく、何十億年と輝き続けているのである。
今、私と星々の間には、何も隔てるものはなかった。